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積極的な産業利用を目指して「富岳」の共用利用がスタート 世界一の計算資源を民間のビジネスにも活用へ 積極的な産業利用を目指して「富岳」の共用利用がスタート 世界一の計算資源を民間のビジネスにも活用へ

松岡 聡

国立研究開発法人理化学研究所 計算科学研究センター センター長
東京工業大学 特任教授

東京大学理学系研究科情報科学専攻、博士(理学、1993年)。2001年より東京工業大学・学術国際情報センター教授。2017年より産業技術総合研究所(AIST)・東京工業大学RWBC-OILコラボ長、2018年より現職。世界ランキング首位となったスーパーコンピュータ「富岳」の開発において、センター長として中核的な役割を担う。※松岡センター長のフェイスシールドは、本文中に登場する「富岳」の計算を基に開発されたものです。

日本が直面する課題の解決や産業競争力の強化のため、スーパーコンピュータ(以下、スパコン)「富岳」の共用利用開始が前倒しされ、2021年3月からスタートしています。今後の活躍が期待され国民共有の財産でもある「富岳」開発の裏側を、開発責任者でSky株式会社の顧問でもある理化学研究所 計算科学研究センターの松岡 聡センター長に伺いました。

「富岳」の使命は、社会課題に貢献すること

暗いニュースが多かった2020年に、「富岳」が4部門で2期連続の世界ナンバーワンを獲得したことは、非常にうれしいニュースでした。

「富岳」は、広く社会の役に立つために開発したスパコンでしたので、国民の皆さんがベンチマークでの世界一獲得を喜んでくださったことを非常にうれしく感じています。今回の世界一に関して、私どもでは世界のスパコンの処理速度をランキング形式で発表する「TOP500」で1位を獲得したこと以上に、異なる4つの分野での1位獲得に意義を感じています。速度だけでなく、アプリケーションやビッグデータ、AIの分野のベンチマークでもナンバーワンになったことで、「富岳」が実用的なスパコンだと認められたと実感しました。

「富岳」は1位を獲得するために作ったスパコンではありませんが、2011年に「TOP500」で世界1位になった先代の「京」は、ベンチマークでの1位が1つの目標でした。それがあの「2位じゃだめなんですか?」発言につながってしまった要因だと思います。「富岳」のプロジェクトがスタートしたのはあの発言の1年後ですが、当初からベンチマークの1位ではなく、さまざまな場面で世の中の役に立つアプリケーションが動く「アプリケーションファースト」な開発を意識しました。社会の役に立つには、当然高い性能が求められるため、結果的に1位を獲得できる可能性もあります。「京」ではそれを説明できなかったため、あのような発言が出てしまったのではないでしょうか。

性能を比較するベンチマークは、走・跳・投の最高峰を決める十種競技のようなものです。人間の肉体が持つ能力を競う十種競技と同様に、スパコンのベンチマークではさまざまな角度から能力を測ります。十種競技で優勝するのが、走・跳・投すべてに秀でた万能な選手であるように、スパコンも万能なマシンであれば1位が取れるはずだと考えていました。

スパコンにスマートフォンのイメージが強いARMのアーキテクチャを採用されたのは意外でした。

勘違いされる方もいらっしゃるかもしれませんが、スマートフォンに使われているARMを搭載しているわけではありません。「富岳」が採用しているARMのアーキテクチャは、CPUに命令を伝えるための「命令セットアーキテクチャ」のみです。人間が目の前にいる人に言葉を使って指示を出す際の「言語」と同じ役割を果たします。その命令を理解して実際に動かすための仕組み「マイクロアーキテクチャ」は、スマートフォンに使われているARMとはまったく別の仕様です。これと同じ仕組みは、皆さんが普段使っているPCに使われるx86系のCPUにもあります。インテルのx86系とAMDの互換プロセッサは、どちらもWindowsで動きますが中身はまったく別物です。AMDの互換プロセッサは「x86系をベースにしたCPU」であってx86ではありません。ARMベースのMacBookが話題になりましたが、あれも「ARMベースのCPUが搭載されたMacBook」で、「富岳」が採用したのもこれと同じだと思っていただくとわかりやすいかもしれません。

汎用的なCPUを採用されたのは、「富岳」で動くアプリケーションを増やして、学術・産業分野での活用を推進するためだったのでしょうか?

「富岳」が社会の役に立つためには、汎用化は重要な要素でした。もとよりスピード至上主義だったスパコンの世界では、CPU1個のスピードを速くすることに注力した結果、ほかには転用できないスパコン専用の特殊なCPUになっていきます。汎用性がなければ用途が限定されてしまうため、アメリカは1990年代に入るといち早く汎用化にかじを切りました。スパコン専用の高性能なCPUは、1つ作るのに莫大なコストがかかりますが、汎用のCPUであれば、大量に使用しても専用のCPUよりもコストを抑えることができるため、汎用のCPUを使用した並列処理で高速な計算が可能になると、一気にスパコンの主流になっていきました。

同じ頃、日本でも各メーカーの内部で、高性能なCPUを搭載した以前からのクラシックな処理と並列処理の戦いが起こりました。しかし、当時の並列処理はクラシック処理の速度に勝てず、高性能なCPUを追究し続けてガラパゴス化した結果、日本の並列処理技術は諸外国から約10年遅れることになります。その後、並列処理スパコンとして開発した「京」は、2011年に計算速度世界一を獲得しますが、64bit16桁の高精度な科学技術演算を行うためのマシンとして開発したこともあり、広く民間で活用されるための完全な汎用化には踏み切れませんでした。「京」で動作するアプリケーションが非常に少なかったことで活用が広がらなかった反省から、「富岳」は汎用性を強化し、普通のアプリケーションが動く高性能なスパコンを目指して開発に取り組みました。

「京」と「富岳」の一番の違いについてお聞かせください。

最も異なるのが、開発体制です。「京」までの日本のスパコン開発は、メーカーに任せる割合が高かったため、どうしてもメーカーが対応可能な範囲、メーカーにとって良いマシンを完成させたいとする意向が働き、保守的な仕様になっていたように思います。「富岳」は、私ども理化学研究所が「京」よりも深く開発に関わると共に、創薬・医療、エネルギー・環境問題など、さまざまな分野の知見を持ったスペシャリストにもプロジェクトメンバーとして加わっていただくことに。メーカーの富士通株式会社には、私どもとスペシャリストがとことんディープに関わり、言いたい放題要望をぶつけました。分野の違いはあっても「京」より100倍速くなれば画期的な結果が出せるというのがメンバーの共通認識でしたが、汎用性を意識すれば使い勝手も外せません。途中、AIが急速に進化・普及することを予想して、CPUで最新のGPUに近づけるくらいの画像処理性能を追加するなど、開発途中の仕様変更が何度も発生し、開発は困難を極めます。しかし、それでも無理難題をぶつけ続け、それに富士通株式会社が応えてくれたことで、素晴らしい性能を持った「富岳」が完成しました。

皆さまのビジネスに、「富岳」をご活用ください

松岡センター長は、「富岳」の活用で日本企業がGAFAを追い越せる可能性もあるとお話されていましたが、そんなことが本当に可能なのでしょうか?

GAFAの強みは、非常に多くのデータが集まる仕組みを持っていることです。データを分析してビジネスへの活用を続ければ、技術はさらに進んでいくわけですが、GAFAはネットビジネスをメインストリームとして誰もが使うインフラを抱えているため、必然的に利用者のデータが集まります。

しかし近年、これまでGAFAが集めてきた方法では得られない、シミュレーションするしかない情報が求められるようになってきました。例えば、自動車の自動運転技術に必要な情報の収集です。事故を防ぐためには、さまざまなシーンを再現してAIに繰り返し学習させる必要がありますが、現実の世界で子どもに車の前へ飛び出してもらうわけにはいきません。このような実際に体験する形での情報収集が難しい場面では、コンピュータが作り出す本物のような風景や画像を使ってAIに学習させ、シミュレーションを繰り返すことで情報を収集します。

「Society 5.0の先行的な社会実現の場」と定義されているスマートシティを成功させるためにも、シミュレーションは欠かせません。都市のシミュレートでは、仮想世界に自然・社会・人間・ITなど必要な要素をすべて入れて、地震などによる災害の発生など、実際の都市の中に実物を作ることが難しい状況を再現できます。日本にはこの分野の研究者が多いため「富岳」を活用してシミュレートの経験値を積み上げていけば、企業や研究所の中にエキスパート集団が形成できるはずです。GAFAは、シミュレーションに求められるすべての分野の研究者を抱えているわけではないので、この点において日本が優位に立てる可能性があるのではないかと考えています。

Society 5.0

狩猟社会(Society 1.0)、農耕社会(Society 2.0)、工業社会(Society 3.0)、情報社会(Society 4.0)に続く新たな社会を指すもので、内閣府が発行した「第5期科学技術基本計画」において我が国が目指すべき未来社会の姿として初めて提唱された。AIやロボットの力を借りて、人間がより快適な生活を送ることができることを目指した社会。「第5期科学技術基本計画」では「サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会(Society)」と定義されている。

私たちが「富岳」の計算能力を実感できる事例をお聞かせください。

1つは、東京オリンピック、パラリンピック開催期間中、実験的に提供する気象情報です。天気予報は大量の計算を素早く処理しなければならないため、以前からスパコンが用いられてきましたが、「富岳」を活用すれば飛躍的に精度が向上します。解像度が50メートルくらいに狭まるため、これまでのような市町村単位の予報ではなく、国立競技場など特定のスポットの天気予報をスマートフォンで確認できるようになります。ゲリラ豪雨のような局地的な気象について、現在の天気予報では「可能性がある」ことしか予測できないため、何分後にどの範囲で雨が降り始めるのかを知ることはできませんが、ピンポイントの気象情報を提供できるようになれば、突然びしょぬれになる確率が下がります。本格的な気象情報の提供が始まれば、現在よりも災害の発生を高精度に予測できるようになると期待しています。

大量の計算が必要な創薬も、スパコンが得意とする分野の1つです。実は、「富岳」の計算結果から、新型コロナウイルスに効果を発揮する可能性があるいくつかの薬を導き出しています。残念ながら、日本ではさまざまな事情から治験につなげることができませんが、海外ではすでに治験に進んでいる薬もあり、結果を待っています。やはり、人類が新型コロナウイルスに打ち勝つためには治療薬が必要です。ワクチンは、今のところ子どもには接種できませんし、次々に登場する変異種の中には、ワクチンの効果が弱まるものが出てくるかもしれません。「富岳」を使った感染症の研究は確実に進んでいますので、情報が提供できるようになるのをお待ちください。

「富岳」が計算に関わったフェイスシールドが発売されましたが、フェイスシールドには飛沫防止効果がないという情報が出回っています。実際のところ、どうなのでしょうか?

「富岳」の計算から、一般によく見かけるフラットなフェイスシールドでは飛沫がすり抜けてしまって効果が低いことがわかっています。それが拡大解釈されてしまい、フェイスシールドはすべて効果がないという説がインターネット上に広まってしまいました。実際には、形状によって効果に違いがあります。

小売業向けに卸売り販売が始まった「飲食用フェイスシールド」は、開発元の2社から理化学研究所に持ち込まれた際の形状と、実際に発売された製品ではかなりの違いがあります。飛沫がフェイスシールド内に留まる形を「富岳」が計算した結果、カップ状にすれば効果を発揮することがわかりました。「富岳」の計算で作られた「飲食用フェイスシールド」は、ウレタンマスクと同等の効果を発揮します。現在、複数の企業と連携して、感染防止のためのシミュレーションを行っていますが、すでに、十分な換気ができていれば感染防止にかなりの効果があることがわかっています。計算結果を基にした換気に効果的な製品が発売されれば、飲食店での感染防止に有効な対策が打ち出せると期待しています。

「富岳」は2021年3月9日から共用を開始し、学術・産業分野の皆さまに向けて計算資源を提供しています。世の中の役に立つ製品を生み出し、「富岳」を身近に感じていただくためには、企業との協力が欠かせません。皆さまにはぜひ、製品の開発に「富岳」の計算を取り入れることをご検討いただけたらと思います。

また、活用を広げていくためには、ブランディングも重要です。先の「飲食用フェイスシールド」のパッケージには、「富岳」が計算に関わったことを表す「powered by FUGAKU」とプリントされています。今後は感染防止以外の分野でも、「powered by FUGAKU」製品を増やしていければと考えています。

国民としては、また世界一の獲得を期待してしまいますが、難しいものでしょうか?

世界一の価値は、相手があるから感じられるものです。スパコンの世界では、各国が抜きつ抜かれつ競争を繰り返すライバル関係にありますが、一方で共同の研究や開発を行う機会もあって、良き友という一面もあります。アメリカのスパコン開発チームは「富岳」でテストを行っていますし、われわれも彼らのマシンを使います。お互いに最終目標はスパコンの技術を進めることなので、密なやりとりで技術を磨くことは欠かせません。スパコンは、毎年新しいマシンが作れるようなものではないので、どの国が1位を取るかはタイミングの問題だと思います。今は日本に後塵を拝している国々も、次の1位を狙っているはずです。

スパコンは、世界各国が1兆円規模の莫大な予算をかけて開発していますので、日本とは投資額の桁が違います。残念に思う方が多いかもしれませんが、今はたまたま日本がリードしているだけで、追い越される日がやってきます。早ければ、2021年の後半には1位でなくなるかもしれません。

読者の皆さまにメッセージをお願いします。

「富岳」は非常に汎用性が高いスパコンで、企業での利活用の推進を想定して開発しました。ぜひ、「富岳」の計算能力を皆さまのビジネスにご活用ください。検討される際には、東京にオープン予定の活用推進拠点や、スーパーコンピュータの産業利用促進を図るために設立された、公益財団法人 計算科学振興財団にお問い合わせください。また、理化学研究所も出資している株式会社理研数理は、Society 5.0時代の新たな社会課題に取り組む企業なので、こちらにお問い合わせいただくことも「富岳」を使う入口になると思います。

スパコンと聞くとハードルが高いように感じられるかもしれませんが、「富岳」にはAWS(Amazon Web Services)が提供するウェブサービス「EC2」のような感覚で気軽に使っていただける、さまざまなクラウド機能もあります。800万個のCPUを使ってどうやってプログラミングすればいいのかわからないと思われるかもしれませんが、それを可能にするプログラミングツールやモデル、教育プログラムを用意しています。皆さまのご応募をお待ちしています。

理化学研究所
YouTube『RIKEN Channel』動画(-富岳小噺- スーパーコンピュータ「富岳」の開発から始動まで)
https://www.riken.jp/pr/news/2021/20210309_1/index.html

(「SKYSEA Client View NEWS vol.78」 2021年6月掲載 / 2021年3月取材)

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